群馬の民俗行事

群馬の民俗行事

福だるまと養蚕

「高崎だるま=福だるま」は少林山達磨寺が発祥地である。寛政年間、達磨寺の九代住職東嶽和尚が、江戸で流行していた起き上がり小坊師をヒントに福だるま作りを考案したと伝える。農間仕事の張り子だるま作りは、冬の乾燥した空っ風が吹く群馬の気候に適していた。蚕は孵化すると桑の葉を食べ、4回の休みと脱皮を繰り返して100万倍の大きさに成長するが、最後の眠りから覚めた蚕はマブシ(蚕が繭を作るための場所で、戦後は回転まぶしが普及)に移して「オコアゲ(御蚕上げ)=上蔟(じょうぞく)のこと」となる。この状態を人々は「蚕が上がった」と表現した。起き上がりだるまの「起き上がる」様子と、蚕がマブシに「上がる」ことの語呂合わせから人々は縁起をかついだのである。

 養蚕飼育は天候や病気に大きく左右され、豊凶が一定でなかったので、人々は福だるまに豊蚕の願いを込め、養蚕が盛んな時代には縁起だるまに「蚕大当り」と書き込むと売れたという。群馬県民は初市で福だるまを買い求め、神棚に飾って1年間の家内安全と家族の幸福を祈った 

正月の祭礼行事

中之条町の鳥追い祭

 年初は、初詣、初市(だるま市)と縁起をかつぐ行事が続く。高崎市少林山・だるま市(1月6~7日)は、だるま産地の福だるまが飛ぶように売れる。前橋初市(1月9日)、伊勢崎初市(1月11日)、館林市初市(1月18日)と、日をずらして福だるまが売られる。富岡市貫前神社・水的神事(1月3日)、渋川市半田・早尾神社のお的(1月7日)、邑楽郡板倉町岩田・長良神社の弓取り式(1月10日)など、お的行事が行われる。弓取り式では、的を目掛けて男の子が弓を射るが、的中すると参会者は競って的の色紙を奪いあう。この色紙を着物の襟に縫い込むと無病息災という。甘楽郡甘楽町秋畑・稲含神社の筒粥神事(1月7日に近い日曜日)、前橋市元総社町・総社神社の筒粥神事(1月14日)、吾妻郡嬬恋村鎌原・鎌原神社の筒粥神事(1月14日)は、1年間の天候や作物の豊凶を占う。

 小正月は予祝的行事が多く、鳥追いとドンド焼きは西毛地方で盛んである。吾妻郡中之条町の鳥追い祭り(1月14日)は、大太鼓をたたき、「追い申せ、追い申せ」と囃す。安中市鷺宮宮本の鳥追い祭り(1月14日)は、鳥追い唄を歌いながら村境まで送る。安中市上磯部新寺の鳥追い(1月14日)は、福俵系の鳥追いで子どもの行事となっている。また、吾妻郡東吾妻町本宿道泉谷戸の厄よけ獅子(1月14日)は、2人立ちの獅子舞で厄よけに各戸をまわる。多野郡神流町間物・オンマラサマ行事(1月14日)は、オッカド(ヌルデ)の木で巨大な男根を製作し間物川に注連縄とともに吊し、男たちが山に向かって「オーイ」と叫んで山の神を呼び寄せる。伊勢崎市上之宮町・倭文(しどり)神社の「エートウエートウ」と呼ばれる田遊び神事(1月14日)は、笹竹を振りながら中世的歌詞を唱える。

 吾妻郡長野原町・川原湯温泉の湯かけ祭り(1月20日)は、20日未明に共同浴場王湯(おうゆ)前で裸の若者が二手に分かれてお湯を掛け合う勇ましい祭りである。その由来は、湯が止まった源泉に鶏を供えて祈願したところ、湯が再び湧き出たのを祝って湯を掛け合った故事にちなむ。

春から夏の祭礼行事

館林市小桑原 富士嶽神社の初山

 節分行事が済むと急速に春の気配となる。佐波郡玉村町福島のすみつけ祭り(2月11日)は、各戸をまわって顔に墨を付けて歩く。墨を付けられると無病息災という。同町樋越の神明宮・春鍬祭り(2月11日)は、田植えの予祝行事で、餅の付いたカシの枝を鍬に見立て、クロ塗りの所作などが行われる。太田市東長岡・神明宮のお田植祭(4月第2日曜日)も田植えの予祝行事である。

 吾妻郡中之条町五反田白久保のお茶講(2月24日)は、4種類のお茶を飲み比べて当てる闘茶で、全問正解と全問不正解がいる年は豊作という。邑楽郡大泉町小泉・社日神社の祭日(3月の社日)は、大勢の参詣者でにぎわい、土の入った袋を受けて畑にまくと豊作といわれる。多野郡上野村乙父のオヒナガユ(4月3日)は、神流川の川原に石垣を積み、その中で子どもたちが遊ぶ。

 赤城山の山開き(5月8日)に、みどり市東町などでは、1年間に死者のあった家は登山する風習があり、死者に似た人と会えるという。この日、沼田市利根町・老神温泉では、蛇祭りがある。館林市小桑原・富士嶽神社の初山(6月1日)は、赤子の額に朱印を押してもらうところから「ぺたんこ祭り」の別名がある。

 佐波郡玉村町五料の水神祭り(7月25日)は、水神宮の祭りで、麦わら船は集落内を巡行後、利根川に流される。昔、この舟が止まった所は災害に遭うという。

盆の行事

太田市世良田の祇園祭

 夏は各地で疫病除けに由来する祇園祭が各地で盛大に行われる。太田市尾島町世良田の祇園祭(7月第四土、日曜日)、沼田祇園祭(8月3~5日)、渋川祇園祭(8月1~3日)がよく知られる。また、桐生まつり、大間々まつり、前橋まつりは、いずれも祇園祭に現代的イベントを付加した夏のイベントである。富岡市高瀬・高瀬神社のマガゴト流し(7月24日)、渋川市半田の茅の輪くぐり(7月31日)などは名越の祓いである。

 甘楽郡甘楽町天引・諏訪神社の麦祭り(8月26日に近い日曜日)は、麦の収穫時の祭りである。北群馬郡榛東村広馬場の地蔵祭り(8月13日)は、地蔵の御輿を担いで各戸をまわり和讃を唱えた。佐波郡玉村町箱石の地蔵かつぎ(7月23日)は、子どもの行事である。

 甘楽郡南牧村大日向の火とぼし(8月14、15日)は、大松明を山から燃やしながら担ぎ降り、川原で火の付いた藁束を振りまわす。富岡市大島の百八灯(8月16日)は、城山と呼ばれる小高い山の中腹に火文字を書くことで知られる盆送り行事で、火文字はその年にふさわしい字が選ばれる。

秋から冬の祭礼行事

みなかみ町小川島のヤッサ祭り

 前橋市粕川町月田・近戸神社の粕流し神事(9月1日)は、神社から元粕川まで神輿・万燈が巡行した後、神主が甘酒を元粕川へ流す。多野郡神流町小平・土生神社のお川下げ(9月第1日曜日)をはじめ、神流川流域にはお川下げ行事が分布する。利根郡みなかみ町小川島・若宮八幡宮のヤッサ祭り(9月29日)は、裸の若者が鳥居と本殿の間を何度も往復し、最後に拝殿の鈴を切る勇壮な祭りである。利根郡昭和村森下・大森神社の担ぎ万灯(10月1日)は、子どもたちが万灯を担いでぶつけ合う。

 利根郡片品村花咲・武尊(ほたか)神社の猿追い祭り(旧暦9月中の申)は、猿に扮した人が追われる祭りで、東西の座が分かれるなど宮座組織を有するユニークな祭りである。沼田市利根町園原・武尊神社のエーッチョ祭り(11月15日)は、餅を担いだ役員が「今年もエーッチョ、来年もエーッチョ」と唱えごとをしながら社殿をまわる。利根郡片品村越本・武尊神社で赤飯を奪い合ってむすびを作るニギリックラ(11月3日)など、武尊神社には類例行事が多く見られる。

 富岡市一ノ宮・貫前神社の鹿占神事(12月8日)は、拝殿に専用炉が置かれ、宮司が上野国神明帳を読み上げると、禰宜(ねぎ)が鹿の骨に焼いた錐(きり)で骨を貫いて、その焼け具合で吉凶を占う。御戸開祭(12月12日)は機織り神事を伝える。

(文責・板橋春夫)

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《参考文献》
板橋春夫ほか 1984 『写真探訪ぐんま5祭りと郷土芸能』 上毛新聞社
群馬県史編さん委員会編 1982 『群馬県史資料編26民俗2(信仰・民俗知識・郷土芸能・人の一生)』 群馬県
高橋秀雄・板橋春夫 1996 『祭礼行事・群馬県』 おうふう
萩原進 1957 『郷土芸能と行事 群馬県』 煥乎堂