小竹獅子舞

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名称 小竹獅子舞(おだけししまい)
伝承地 松井田町五料
期日 中断中
概要 一説には、天明3年の浅間焼けの砂降りの後疫病がはやったので、それを鎮めるため下総の行者が伝えたという(甘楽方面から伝わったとも明治初年に始められたともいう)。嘉永3年9月に天狗の衣装を新調した記録が残っている。また、「獅子衣服新調明治20年9月寄附連名」という記録や「明治22年9月創始祭典規約波古曽神社氏子壱統」という記録があり、この中の第4条に「若者獅子役者共取締世話係の指揮に背く事を得ず」の言葉が出てくるのでこの頃は盛んであった事が窺える。獅子舞研究家の新井南花氏によれば、「長い間の中絶で、笛、特に舞が崩れてしまっているが伝承者の武井竹次氏の熱心な指導で復活も可能である」としている。 舞は古老の言い伝えでは、かつて48庭も演目があったというが残された道具の豊富さからも窺い知ることができる。

昭和34年に皇太子ご成婚記念奉祝獅子舞大会に参加して以来、 上演していない。昭和40年頃衣装だけ着て神社まで行列したのが最後である。

年に1回道具の虫干しをしているが、獅子頭の塗りが剥げており衣装も傷みが激しく、伝承者の高齢化と共に道具の傷みが復活を難しくしている状況である。

【小竹獅子舞】安中市
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