木崎音頭
名称 | |
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伝承地 | 新田木崎町 |
期日 | 8月第4週土曜日・10月・11月 |
概要 | 木崎音頭は、戦前は木崎節と言われ、夏の盆踊りに唄われました。手ぬぐいで頬かぶりし、うちわで顔をかくし、「雨が3年 日照りが4年」と囃子に合わせて唄われ、一節歌うことに一廻りして次の文句を歌う流調な節回しでした。 日光例幣使道通行の際に大勢の若者が宿泊を余儀なくされ、旅籠屋ができ遊興の地となり、越後から多くの子女が奉公という名目で身売りされ飯売女として苛酷な生活をしいられました。彼女たちはこのさびしさから、故郷や家族をしのび、宴席で子供の頃覚えた歌を歌ったのが木崎節の始まりといわれています。 当時の歌詞は卑俗でしたが、戦後東京音頭が全国にヒットしたことから音頭と付く歌がはやり、その流れで木崎音頭へと変わり、踊りの振り付けや歌詞も昔からの節廻しを失ってしまいました。 八木宿で生まれた堀込源太は、馬方渡世で、木崎宿・八木宿間を往復し、木崎宿へ定宿を持ち、飯売女の歌をいつも聞いていました。源太は持って生まれた美声と歌好きで、木崎節を風土に合わせた威勢のよい節に替えて、生地の八木をとって八木節としたと伝えられています。源太は「源太一座」を組織し、周辺各地で興業し好評を博したといわれています。 木崎節が八木節の元唄であることは、多くの民謡研究家にも認められています。木崎音頭は、遠く三国の山を越えて来たまま再び帰ることなく、この地で亡くなった多くの子女の哀歌が秘められ、木崎宿がかつて宿場町であったなごりを伝えるものとして重要です。 【木崎音頭】太田市 |
周辺地図 |
新田木崎町1215-1 |
交通アクセス | 東武伊勢崎線木崎駅より、車で約5分 |
お問い合わせ | 太田市教育委員会 文化財課 0276-20-7090 |
link | 太田市ホームページ |