伝統文化レポート
- 2009/11/05
- 宇藝神社 太々神楽 ?
神楽の奉納順を記した資料を頂きました。舞名と舞手の氏名が書かれたのと、舞ごとの笛の音をひらがなで記した物(とひょひー・ひゃら・ひゃーひゃら等)の2枚有った。
頂いた資料からすると舞は11座、巫女舞、おかっぱと称するひょうきんな役を含め21柱の神々の舞である。今回は1幕省略で10座舞われたが一般的に興舞と言われるものが半分あった。おかっぱと言われるひょうきんな役は私は初めて見ました、私の知っている神楽ではひょっとこに相当する物ではないかと思います。面の鼻の部分にカラフルな紙垂を数枚下げてあり、子供達が鼻毛と呼んでいるのが何とも言えぬおかしさだった。時々それを抜いてお菓子などと一緒に撒いているので、子供達からは「鼻毛は要らない」と騒がれていたのが記憶に残っています。写真の1枚目がそれで、2枚目は猿田彦大神の舞です。
神楽の始まりから最後まで子供達のはしゃぐ声の絶えない活気のあるお祭りでした。それもそのはず、1幕終わるたびに舞を舞った方が面だけを外し素面で50cm角ほどの段ボール箱にお菓子を入れて再度登場神楽殿から撒きます。其の後役員らしき方やお囃子の方々が段ボール箱2つ程度のお菓子を撒いていました。地元の方が話しているのが聞こえたのですが、撒くお菓子は軽トラ1台分くらいらしかった、確かに子供達はビニールの袋にいっぱい持っていました。しかも神楽殿の欄干下には、お菓子用と思われるビニールの袋が1束、ご自由にお使い下さい見たいにぶら下げてありました。
writer: 継
- 2009/11/05
- 宇藝神社 太々神楽 ?
神楽殿も見ての通り立派な造りでした。平成12年頃に修復をしているようでしたが確認できる写真を取り損ねました。
神楽殿に向かって右側、柱と欄干の間に笛が5人、向かって左側に手前から大太鼓(打面直径が40cm位?)小太鼓(締め太鼓)長胴太鼓の3人のお囃子の方。曲数は10曲位?マイク無しで生音のみ、全般に激しい曲はなく穏やかに流れるような印象の曲が多い気がした。印象に残ってるのは、篠笛だけど高い音域を使う部分が余り無い曲がほとんどだった。
writer: 継
- 2009/11/05
- 宇藝神社 太々神楽 ?
本殿は彫刻が掘り巡らされた立派な物で傷みも少ないようでした。ただ、下部に大きな損傷があり、個人的には残念な思いでした。正面から側面、後面にも彫刻があり興味を持たれる方も多いかと思います。南向きの傾斜地の所為か全体的には傷みが少なくよく見られる脇障子のゆがみや隙間がないのには驚きました。
目をひかれたのは海老紅梁の龍の彫り物である、外側だけに彫られていたが欠けもなく残されていました。
writer: 継
- 2009/11/05
- 宇藝神社 太々神楽 ?
今回は富岡市神成の「宇藝神社」にお邪魔してきました。場所は上信越道下仁田から国道254号線を富岡方面に1?1.5km、国道沿い左側に石造りの鳥居が有り、それをくぐって500mほど直進すると神社の真ん前に到着します。駐車出来るスペースがあり、右手に公衆便所もある。その奧には公民館。正面に石の階段、一つ目は緩やかでその上に急な石段、上ると右手に神楽殿、左側にはちょっと狭いが観客席になるスペース。そこから更に急な階段の先に神社がある。トータル150段ほどの石段でかなり傾斜はきつかった。
祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)で延喜式にのこる県内12社の内の一つと言う事らしい。拝殿は一般的な様式のようであるが、格天井で一つ一つの区画にそれぞれ彩色画がはめ込まれていた。
writer: 継
- 2009/09/30
- 乙母太々神楽 その4
最初にその1からその3までの3部作と言っておきましたがお囃子に関して説明できなかったのでその4を急遽追加です。
舞うスペースの向かって左側、奧から笛、笛、大太鼓、小太鼓、長胴太鼓の順に並んでいた。笛は篠笛、大太鼓は1尺2寸?3寸、小太鼓(締太鼓)は両面3丁掛け、長胴太鼓は長さ60cmほどで竹のへらみたいなので叩いていた。楽器に関してあまり詳しくないのでわかりにくいかと思いますが、後は想像して頂ければ・・・・・・。
お囃子の写真は顔が映っており、掲載許可を頂いてないので省略、代わりに舞の写真を追加で。
writer: 継
- 2009/09/30
- 乙母太々神楽 その3
舞については名称は違うものの、内容的には古事記や日本書紀に出てくる神々の様子を表していると言っていいと感じました。よく知られてる、岩戸開きや大蛇退治があり、狐やひょっとこの登場する興舞みたいな物まで有った。
県央地域でも良く舞われる、恵比寿様を題材にした餅を撒く一幕もあったが、竿の先に餅をつけ観客席に垂らすというおなじみのスタイルではあるが特筆すべきは、?餅と一緒にお札を付ける。?それを取った観客はお礼に幾ばくかの金銭を付けて返す。と言う事であった。子供達が餅を何度か取った後に大人が餅を取りに(ほぼ順番に)行き、お礼を返してくる。こんな光景は初めての体験でした。地理的な問題なのかわからないが、秩父地方の影響を強く受けているらしいとの話も聞けた。
印象的だったのは、ほとんどの装束で白か黒の髪を付けていた事だった、さすがにひょっとこについてはその限りではないが・・・・・・烏帽子や鳥兜の下にも髪が付けられていたのには驚いた。
writer: 継
- 2009/09/30
- 乙母太々神楽 その2
鳥居をくぐると正面に社を見て左側に神楽殿、右側が観客席(境内?)である。神楽殿と言っても一般的な三方解放の二階層のタイプではなく、間口4間半、奥行き1間半の桟葺き屋根の細長い建屋である。床の高さは80cmほどで、どう見ても地芝居の舞台だったのではなかったのかと思える。その中央の1間半の四角が神楽を舞うスペースで、左にお囃子、右に着替えなどのバックスペースとなっていた。実質はこの中央1間四方で舞う事になり、一般的な神楽殿に比べてかなり狭い感じを受ける。
現地に到着した(12:10頃)時は、地元の方1人と、上野テレビの方が撮影の準備をしておられました。すでに飾り付けを終え、観客席にはシートが敷かれた上にビニール製の茣蓙がかなり広く敷かれており、13時の開始と共に、観客が増え次第に賑やかになってきました。
観客のほとんどが地元の方で、舞手の家族らしき未就学の子供さんを連れた奥さんが何組かとその1世代上のお年寄りたちが談笑しているのが印象に残っています。
writer: 継
- 2009/09/30
- 乙母太々神楽 その1
9月27日に上野村で太々神楽を鑑賞してきました。写真が2枚し
か掲載出来なそうなので、占有して申し訳ありませんがその
1からその3までの3部作にさせて頂きました。
場所は上野村役場から旧道を十石峠方面へ1Kmほど行った、桧
沢峠、塩之沢峠への分岐点右側に位置した八幡宮。
社はこじんまりした瓦葺きの覆殿の中に、年代を感じさせる
古い横幅1間ほどの小さな社が鎮座していた。屋根は板で葺い
てあり塗装がほとんど落ちかけている。元々はこの社だけが
有り、傷みが激しくなったので覆殿が造られたように見受け
られた。
writer: 継
- 2009/07/26
- 斗合田の獅子舞
明和町斗合田の獅子舞に出かけました。
愛宕神社に始まり、地区内の神社、水神様、各辻などを回り、獅子舞を奉納してまわります。地区の端から端までまわり厄神除けを行います。
利根川と谷田川に挟まれた斗合田地区。水神様は利根川にあります。明治45年、昭和22年に利根川の堤防がきれて大きな水害にあったそうです。
獅子舞の諸道具を入れる長持ちの裏に「天下一獅子舞日光文挟流・館林宰相石馬頭・宝永3年6月24日」と記載してあります。今から303年前と長い歴史を持つようです。
斗合田地区の全戸で支える獅子舞。今年は新習いも入り、愛宕神社、八坂神社で舞いました。獅子舞は以前限定されていた長男のみではありませんが、獅子も、笛も花笠の小学生も全員男性です。
奉納場所には近所の人が氷水を運んで待っていてくれます。斗合田の獅子舞は、地区全員で支えられています。
writer: マップ